【延命VS尊厳 】 自分や両親、家族が年老いて食べられなくなった時を考える

みなさん、こんにちは、やぐまです

唐突ですけど、みなさんは、自分や両親、家族が年老いて食べられなくなったときのことを考えたことがありますか?

わたしは考えたことがありませんでした

わたしも、両親も、家族もありがたいことにまだまだ元気ですから

実は、ちょっと気になる記事がありまして、紹介がてらアウトプットしてみたいと思います

出典 病院 76巻9号 「人口問題と価値観の変化」
国際医療福祉大学大学院 高橋泰 氏

亡くなり方には3つある

ここでいう亡くなり方とは高齢となり、終末期を迎えた時のことで、交通事故や突発的な病気によって亡くなることは除外しています

食べられなくなって亡くなる

年をとると自然に食べる量が減りますよね!?

やぐまも若いときほど食べられなくなりましたし、油っこいものが胃にもたれるようになりました・・・

高橋氏によると

トイレに行く元気がなくなると同時に食べる元気もなくなる

とのことで、その場合

数日〜1か月程度で亡くなることが多い

ということです

ここで、本人が食べたくなくなっても、頑張って食べさせようと本人や家族が望むと、食事介助が始まることになります

口には入るが飲み込めなくなって亡くなる

 

食事介助されれば、ある程度栄養は確保されるようになりますが、さらに年齢を重ねると徐々に飲み込みが悪くなるそうです(=嚥下障害)

嚥下障害が起こっても、食事にとろみを付けることで飲み込みしやすくなりますし、リハビリテーションで多少改善することもあるようです

しかし、嚥下障害が進むと、食べ物や飲み物が食堂ではなく気管に入ってしまう誤嚥性肺炎を引き起こす可能性が高まるので、医療上は経管栄養胃瘻(いろう)という処置になるそうです

胃瘻とは、おなかと胃に小さな穴を開けてチューブでつなぎ、胃に直接栄養を入れる栄養投与法で、正確にはおなかに開けた穴を胃瘻という

栄養は摂れるが意識レベルが低くなり亡くなる

胃瘻となれば、食べるという行為を行わなくても、生きることはできますが、寿命には勝てません

いずれ意識レベルが低くなり、亡くなるそうです

ちなみに、

統計データはないが、複数の老人病院の医師の話を総合すると、胃瘻を造設すると現在平均3年程度延命が図れるようだ (中略)栄養補給を行わず看取る「自然死型」の亡くなり方を選択すると、平均2週間程度で亡くなるようだ

とのこと、栄養があるとないとでそんなに延命が図れるのかとびっくりしました

 

それと、胃瘻を『造る』『造設する』という言葉はロボットみたいな扱いで何となく気持ちが悪いです

海外(フランス)での状況

高橋氏は、2008年〜2016年にかけて9回のフランス医療視察を行っているそうで(うらやましいなぁ)フランスでの考え方や実際の亡くなり方を時系列にまとめています

1990年頃・・・積極的に胃瘻が造設されていた

1990年代半ば・・・胃瘻などの積極的な延命治療を選択しなくなる

2005年頃・・・胃瘻はほとんど行われなくなった

このような亡くなり方や考え方の変化について、高橋氏は『決定的な理由がない』と述べていますが、フランスでは

胃瘻や経管栄養は高齢者に対する虐待

食事介助は拷問に近い行為

とみなされているそうです

これは衝撃的ですね

日本での状況

フランスでは2005年頃には胃瘻はほとんど行われなくなったそうですが、日本ではどうなのでしょうか?

実は日本でもこのような傾向が出始めており、高橋氏によると

2011年の秋頃から突然胃瘻を希望しないケースが急増、フランスと同様、決定的な理由がないままに、嚥下障害に対する胃瘻造設は減少傾向に突入したようだ

と述べています

高橋氏は日本でも『決定的な理由がないまま』と言っていますが、

2011年と言えば、東日本大震災が思い浮かびます

あの未曾有の大災害が人々の生き方・亡くなり方に大きな影響を与えたと考えるのは短絡的でしょうか?

 

一方で、フランスでは拷問に近いと言われる食事介助について日本では、比較的当たり前と受け取られていて、むしろ、食事介助をしないのは餓死させたと後ろ指をさされると高橋氏は言っています

亡くなり方を考えるにあたって

交通事故で脳死になった場合には、臓器提供カードに記載があるかどうかで臓器提供の意思を現すことが一般的になっています

最近では、終活ということで、自分が死んだあとのこと(葬儀など)をエンディングノートに残しておくということも浸透してきています

 

繰り返しになりますが、食べられなくなった時を考えたことはありますか?

 

わたしは初めて考えましたが、病院のベッドの上で、鼻からチューブを付けたり、おなかに穴を開けてまで栄養を取ったりするのは嫌だなぁと思います

もちろんこれからどのようなことが待ち受けているか分かりませんが、もしそのような状況に陥った時に自分の思い通り生きたい・亡くなりたいと思います

そのために本人ができることを高橋氏は

元気なうちから親族や主治医に、どこまで食事介助・栄養補給を行ってほしいか(≒どこまで生きたいか)を、意思表示しておくことが大切である

と言っています。

また、看取る側の家族においても

無理をして食べさせるのは果たして本人のためになるのか、家族としてのエゴではないかというような客観的な視点を持ち、できる限り本人の希望を尊重する形で方針を決めることが必要だろう

と言っています

私自身もそうですが、順番から行けば、まだまだ健在な両親を見送る、看取ることになるでしょう

お金の問題もそうですが、まず、生き方・亡くなり方を元気なうちから話合っておくことが本当の意味で親孝行なのかもしれません